片桐牛乳店物語 第4話

「川を越え、店を継ぐ-二つの看板 -」

昭和33年7月1日。
明治乳業は長岡に基盤を築くため、「明治牛乳長岡販売店」をオープンしました。 
オーナーは柏崎の人物。乳業の経験はありませんでした。

この知らせを聞いた勇士英は、すぐに動きました。
「一日でも早く、明治の特約にならなければならない」同年7月18日、片桐牛乳店は「明治牛乳長岡販売店 関原郷支店」として看板を掲げます。

他の同業者7店が看板を上げたのは、8月1日から。
わずか半月の差でしたが、この“早さ”が後の運命を分けることになります。
 
 牛の世話や製造から離れた分、勇士英は販売促進に力を注ぎました。毎日、新潟工場から配送車で牛乳が届く。
それを一軒一軒、確実にお客様のもとへ届けていく日々でした。
しかし、自然は時に容赦ありません。昭和36年、38年の豪雪。道路は寸断され、車は止まりました。それでも牛乳を止めるわけにはいかない。信濃川から船で牛乳を運んだこともあったといいます。
 
 そんな激動の一年が過ぎた頃、思いもよらぬ話が舞い込みます。
「長岡販売店を、引き継いでもらえないか」 オーナーが、この業界から撤退したいというのです。  
支店である勇士英に、店も従業員も託したい——。 迷いはありました。

資金の不安、人材の問題、責任の重さ。

それでも、勇士英は決断します。    
店舗と従業員を引き継ぎ、信濃川を挟んで上除町(川西)と表町(川東)、二つの店を経営することになりました。苦労は絶えませんでした。ですが、家族は確実に次の世代へと育っていました。

 長男・賢次が運転免許を取り、頼もしい働き手となっていたのです。 表町の長岡販売店は、かつて酪農を共にしてきた従業員に店長として任せ、上除町の関原郷販売店——現在の本店は、次第に長男・賢次に託されていきました。

 川を越え、店を継ぎ、人を信じて任せる。
片桐牛乳店は、“勇士英一人の店”から、“次の時代へ続く店”へと、静かに歩みを進めていったのです。

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